2012年02月29日

スローライフ 〜3.11からの教訓E〜

先週、京都〜滋賀〜奈良とロケをしてきた。

取材対象は各地でスローライフ(と我々が勝手にカテゴライズした生き方)をしている人たち。

そこを訪れるのが自然回帰を謳うインド人思想家。


スローライフと呼ばれる生き方、それは素晴らしい。

でも、そう簡単にそっちの世界にいけないしがらみを抱えて僕らは生きている。


新しい世界で生きることは、今との決別。

その決別は人それぞれ。

生きる場所との決別。

便利と電気との決別。

裏を返すなら…

コンクリートジャングルとの決別。

過剰な便利からの決別。


どこでどう暮らすのが幸せか。

それは結局自分でしか判断できない。

自分の幸せの羅針盤は、結局自分しかもっていない。


いくら資本主義から決別して、自然回帰をしたところで、
自分のエゴから決別できなければ、その生き方は苦しい。


自給自足で生きることは簡単ではない。

でも、雇用はされたくない。

もう、その考え方自体がエゴだ。


結局はどこに生きるか、じゃない。

どう生きるか。


自分に立ち返るならば、自分はどこでだって楽しく生きていけると思ってる。

海でも山でも都会でも田舎でも、雪国でも南国でも。

でも、選べるなら、南国の海のそばのちょっとした田舎が理想だ。

ただそれだけ。


時代だって関係ない。

縄文時代だろうが、弥生時代だろうが、江戸時代だろうが、第二次大戦中だろうが、
その時代を全力で生き、全力で楽しもうとするモチベーションは変わらないと思ってる。

その時代、その場所、その時々で最高の楽しみを。

ただそれだけのこと。

だからこそ、今を生きる喜びを感じることが出来る。



人の考え方、生き方を押し付けられても楽しくないのと同様で、
自分の生き方を押し付けても何も楽しくない。

結局、他人を変えることは出来ない。

自分が変わることしか出来ない。

でも、自分が変わることで、他人を変えられる可能性はある。

他人を変える可能性があるということは、世界を変えられる可能性があるということ。

自分が気付き、動き、楽しむこと。

それ以外の価値観はない。


スローライフを望むなら、それもまたよし。

資本主義にどっぷりつかり、社会の歯車の一部として磨耗していくもまたよし。

結局最後に選ぶのは自分だ。

他人の生き方を羨ましがっても何も始まらない。

始めたければ、心を決めて動くしかない。

もう他人のせいにするのはやめよう。

自分の人生、その楽しさは自分でしか構築できないのだから。


例え今日も終電帰宅になろうとも、明日、編集室に泊り込むことになろうとも、ボクは今が楽しい。

そしていつか、南の島で悠々自適な暮らしを夢見て、今を楽しく一生懸命生きる。

ただそれだけ。


そういう意味で、福島とはまた異なる、自分の思考の原点回帰の旅の第二段だった。

今回のロケで出会えた全ての人に感謝。




posted by Andy★ at 13:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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